「あの、本番料金になってしまいますがよろしいですか?」先日案内してくれたあの職員さんの発したひと言が、我々の動きを止めた。
どうやら私は思い違いをしていた、、、というより思いもよらなかった、と言ったほうが正しいか。
ホールのレンタル時間は9時から17時まで。9時に入って17時には完全に撤収する。それを守りさえすればこの8時間をどう使おうが、それはこちら側の勝手だと思っていた。しかしリハーサルと本番では料金設定が違うのだという(もちろん本番のほうが高い)。
用意したタイムテーブルは9時から13時「セッティング(調律含む)&リハーサル」、13時から17時「本番」と、おおまかにそう区切っていた。当然ホール側にも伝えており、それに基づいて予算が組まれていた。
いまは正午、12時。本番予定時刻より1時間早い。「いま本番を始めてもいいですけど追加料金がかかってしまいますよ」ということを、職員さんは親切にも忠告してくださったのだ。
お客さんを入れて使うならば、その差額も納得できる。しかし今回の使い方はリハーサルも本番も見た目は一緒。べつに1時間くらい大目にみてくれても、、、なんて気持ちにもなるが、、、ダメなものはダメ。
都内の使い慣れたスタジオでならいざしらず、彦根で余所者が駄々をこねるわけにはいかない。そう、我々は意外とモノワカリのよいオトナたちなのだ。「郷に入っては郷に従え」というコトバを知っている。
仕方がないのでお弁当を食べることにした。冒頭の写真がそれだ。夏原さんご用意のゴージャスお弁当。味もさることながら、その器の大きさに圧倒される。その後の作業に支障をきたすのではないかというほど満腹になった。
食休みをして13時キッカリに本番開始。4テイク録って2テイク目がOKとなる。M-2は正味1時間ほどで録り終えた。お弁当のおかげか、順調だ。
小休止して次はM-3。歌とピアノ伴奏の「声楽家バージョン」。
ピアノはスタインウェイD274 。ベーゼンドルファー275も使用可能とのことだったがこちらを選んだ。この2台が常備されているとは素晴らしい(コンディションも完璧だった)。
マイクは歌にノイマンU87。ピアノはオンマイクにノイマンKM84、ちょっとオフ目にサンケンCU41をそれぞれステレオペアで立てた。オフマイクは先程と同じだ。
中原さん(歌)の喉の調子があまり良くないそうで、いつまで持つか、といった感じ。それでも慎重に休み休み、部分録りしたりして何とか頑張っていただき、多少ツギハギにはなったが良いテイクを録ることができた。結果はCDを聴いてもらえればわかる。
16時過ぎにはすべて録り終え、時間を余し撤収も完了した。
今回の遠征では思いがけない人との再会があった。その彼なくしては、ここまでスムーズな録音はできなかったであろう。
名は山本篤士という。
彼は今は無き(涙)一口坂スタジオ(私もここの出身だ)で働いていたことがあり、そのとき何度か一緒に仕事をした。再会するまで知らなかったのだが、彼は滋賀県出身で、もろもろの事情から数年前東京に見切りをつけ、地元に戻り関西圏で仕事をしているそうだ。
彼がいて何がよかったか。もちろん機材の提供(ProTools、マイク、ヘッドアンプなど)に助けられたことは言うまでもない。
だがこのご時世、機材などそこらの小金持ちなら結構立派なものをお持ちである。しかしプロフェッショナルなレベルでそれを使いこなせる人はなかなかいない。それはその人たちが劣っているとかそういう話ではなく、すべては経験の有無による。ミスの許されないシビアな現場を踏んでいるか否かの差なのだ。経験に優る教科書はどこにもないのである。
そしてそういう場にいた者との間には、ある種の共通言語が存在し、話が早い。そうでない人には百万言を費やしても、肝心なことがなかなか通じない。そこで余分なエネルギーを使うことになるわけだ。
山本くんには僅かな言葉でこちらの意図が余すことなく伝わる。東京から滋賀に移り住んでいても、一度覚えた言葉を忘れるような愚か者ではなかった。彼が滋賀にいてくれたことは本当に幸運であり、感謝もしている。
まあそんなわけで今回の彦根遠征は大成功だったと言えるだろう。不足だらけのレポートはこれで終わる。
あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)
レコーディング現場に限らず、同じ日本語を使っていても話が通じない場面は案外多い。話が通じる人材というのは貴重だ。カイシャの人事権を握っているエライ人、リストラするときはそれに注意してやるといい。大きなお世話だが。