スタジオというのは防音工事がなされ、空調も静音設計であるため、人がいないときは雪の降り積もった朝のような静寂に包まれている。音が外に漏れないということは、外の音も入ってこないということ。誰もいないスタジオ。マイクと機材の用意は整い、メンバー到着を待つ静かなひととき。
午前11時、誰も時間に遅れることなく無事集合。
尚之さんとはときどき顔を合わせているが、トラベラーズの方々とは昨年4月に行われた渋谷AXでのライブ以来。久留米レコーディングからは2年、それなりに月日は流れているのに、あまり久しぶりな感じがしないのは、歳のせいだろうか。
再会の挨拶もそこそこに、みな準備に取り掛かる。
ベースの武田兄さんが狭い持ち場でガタゴトと苦心しながらセッティングしている奥で、サックスの武田弟さんは準備万端、涼しい顔だ。写真にいない尚之さんはとっくに整い、一服つけに外へ出ているところか。
このスタジオは禁煙。ここが特別ではなく、いま都内のスタジオはほとんどが禁煙だろう。私が働き始めた頃はスタジオにタバコは付き物で、煙で白く霞む中仕事をしていたのに、知らぬ間に時代は変わった。昔吸っていた人が次々とやめ、若者はもともと吸わない人も多いので、スタジオ関係者の喫煙率は大幅に下がっている(世の中全体もそうだろう)。しかし「トラベラーズと尚ちゃん」は安定の喫煙率80%。
この部屋でこれだけの楽器を同時に録音するのは初めての試み。ホントに5人が入ってちゃんと演奏できる環境なのか、今日まで半信半疑だった。こうして全員のセッティングができたところを眺めると、なんだかいい具合に収まっている。
さていよいよセッションが始まった。オイリーズカフェほど楽器間の距離がとれないので、かぶり具合が心配だったが、ほどよい感じで混ざっているようだ。
1曲目は「220V」
ベースのリフから始まる、いかにも「トラベラーズと尚ちゃん」っぽい(個人的な感想)軽快なインスト曲。まだ確定していないが、アルバム冒頭を飾ることになるだろう。
前回同様、このレコーディングはできる限り一発録りを目指す。ダビングは考えない。
前回は出張ということで、機材にも時間にも制約があったりして、ダビング作業というのは極力避けなければならない事情があった。ただ今回はスタジオでの録音。スケジュールも余裕を持って組んであり、いろいろやろうと思えばできなくはない。たとえばパーカッションを加えたり、ギターをもう一本重ねたり、サックスの和声を増やしたり。
ただ音を重ねれば楽曲が良くなるか、というと、そうとは限らない。すべてを否定するつもりは毛頭ないが、巷にあふれる音楽が無駄な音のためにどれだけ窮屈な思いをしていることだろう。ひとつ音を足せば、そのぶんもともとあった音の存在が少しぼやける。足し算は誰でもすぐ思いつくけれど、引き算は忘れがちだ。
トラベラーズは「足さない美学」を貫いている(もちろん足すこともあるが)。
テスト録音〜プレイバック〜セッティング微調整、というのを2度繰り返して迎えた本番(のつもり)1発目。
素晴らしいテイクが録れた。「お疲れさま」と言いたいところだ。しかし始まったばかりで手応えがなかったのか、メンバーはもっと演奏したいような雰囲気を醸し出している。そこであと2回テイクを重ねた。
しかし1テイク目を超えることはなかった。まあこれはよくあること。
ここまでで、まだ2時間ほどしか経っていない。初日は試行錯誤もあるだろうから「1曲録れればいいね」なんて話していたのだが、事前の準備がよかったのと日頃の行いのおかげでスンナリとコトが運ぶ。
解散するにはまだ陽が高い。調子に乗り2曲目へ突入する。
つづく。